北斎通りまちづくりの会
日本を代表する浮世絵師の葛飾北斎は、1760年(宝暦10)9月23日に、本所割下水(現在の墨田区亀沢)に生まれました。 画号(画人が本名以外に付ける別名)を30と言われるほど変え、90歳の生涯のうちに1つの場所に住居を構えるのではなく、墨田区内、台東区内周辺などを転々と引っ越しを繰り返し、その数は93回と言われています。1849年(嘉永2)4月18日に浅草聖天町遍照院境内(現在の台東区浅草)の仮宅で、娘や門人(弟子)、友人達に看取られながら息を引き取りました。北斎は、死の直前に大きく息をして「あと10年の寿命があれば」と言い、しばらくして「5年の寿命が保てれば本当の絵師になれるのに」との言葉を残して亡くなったと伝えられています。当時としては、大変に長生きをした人で、90年の生涯をひたすら絵を描くことに費やしました。北斎の代表作である錦絵「富嶽三十六景」全46枚(72歳頃に描く)や、絵手本『伝神開手 北斎漫画』十五編(55歳~60歳頃に描く)など多くの作品は、遠く海を越えて、19世紀ヨーロッパの印象派画家ゴッホ(1853-90)、セザンヌ(1839-1906)、ゴーガン(1848-1903)などにも大きな影響を与えたことでも知られています。また、1999年米国の『ライフ』と言う雑誌による「この1000年間で最も重要な業績を残した世界の人物 100人」のアンケートで、日本人では唯一1人、86位にランクインされています。墨田で生まれ、20歳で浮世絵師として出発し、没するまでの70年間にわたって築きあげた北斎の芸術世界は、浮世絵と言うジャンルを超えて、今も世界の人々の注目を集めています。(以上 墨田区文化振興財団 北斎担当 制作資料より引用)
墨田区では、郷土の偉大な芸術家を区民の誇りとして長く顕彰するため、「すみだ北斎美術館」の建設を計画しており、平成元年度より様々な準備を進めてまいりました。 その中で、平成五年度には、葛飾北斎の世界的なアメリカ人収集家故ピーター・モース氏のコレクションを一括所蔵しました。
ピーター・モース氏(1935-93)は、ホノルル美術館副主任研究員などを歴任し、東西の版画芸術を研究する一方、葛飾北斎の一大コレクターとして世界的に知られた存在でした。 大森貝塚を発見したエドワード・S・モースの子孫にもあたります。 平成五年一月、東京で開催された「大北斎展」に多くの所蔵品を出品され、その展示立ち合いのための日本滞在中に急逝されました。
モース氏のコレクションは、欧米における北斎の個人収集としては最高最大の内容と言われており、研究者の目で収集された希少価値の高い作品が多く含まれていることが特徴です。 氏の逝去に伴い、そのコレクションの散逸を惜しんだご遺族が、本区のすみだ北斎美術館建設の計画と、区からの懇請に深い理解を寄せられ、総数600点に近い北斎作品のほか、研究資料などの一括取得が実現しました。
(以上 平成18年北斎展 -ピーター・モース・コレクションの世界- 資料より引用)